カテゴリー:九州・沖縄地方
福岡城は関ヶ原の戦いの戦功で筑前一国を与えられた黒田孝高・長政親子が、古代の大宰府の役所の一つで、外国使節の接待を行った迎賓館としての機能を持った鴻臚館が築かれた場所に新たに築いた城で1607年(慶長12)に竣工。さらに […]
663年、同盟国関係にあった百済復興を支援するため天智天皇は朝鮮半島に軍勢を派遣するが、白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れ百済は滅亡。この結果、連合軍が日本に来襲することを恐れた大和朝廷は対馬から北部九州、瀬戸内海沿岸 […]
国内統一を果たした豊臣秀吉は、大陸進出を目指すようになり、その前線基地として1591年(天正19)名護屋城の築城を九州の諸大名に命じ、突貫工事により数ヶ月で巨大な五重天守が建つ総石垣造りの大城郭を完成させた。朝鮮出兵のた […]
弥生時代前期、標高1,000m前後の背振山地南麓の吉野ヶ里丘陵一帯には小規模なムラが分散していたが、次第に統合拡大され、弥生時代後期には集落がさらに北部へと広がり、約40haを超える国内最大級の環濠集落へと発展した。V字 […]
佐賀城は、1608年(慶長13)戦国大名の龍造寺氏の居城であった村中城を、家臣であった鍋島直茂・勝茂親子が改修・拡張して築城した典型的な平城で、幅50m以上の広い内堀と幾重もの外堀を巡らし、巨大な五重天守が建てられていた […]
平戸港に突き出た三方を海に囲まれた標高約53mの亀岡山に、1704年(宝1)平戸藩5代藩主松浦棟が山鹿流の築城術を用いて築城に着手し1718年(享保3)完成された平山城。この地は、かつて初代松浦鎮信(法印)が1599年( […]
1616年(元和2)九州の外様大名の牽制とキリシタン対策という大きな任務を与えられて島原に入った松倉重政は1618年(元和4)森岳という小山に築城を開始し7年をかけ、総石垣で五重天守と3基の三重櫓、38基の平櫓などが配置 […]
熊本城のある丘陵地帯は茶臼山と呼ばれ室町時代には千葉城や隈本城が築かれていた地であり、この地を与えられた加藤清正が1591年(天正19)から築城を計画。1601年(慶長6)から本格的に築城を開始し、千葉城・隈本城を縄張り […]