日本100名城ガイド

備中松山城

  • 備中松山城写真1
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  • 備中松山城写真3
  • 備中松山城写真4

天守は現存12天守のうち最小であるが、唯一山城に残っている天守である。

備中松山城は鎌倉幕府の地頭、秋庭重信が1240年(延応2)の臥牛山の大松山に居城を築いたのが最初といわれる。秋庭氏は6代続いたが、目まぐるしく城主が変わり、毛利輝元がこの城を前線基地として城の改修を指揮したという。関ヶ原後、徳川氏の直轄領となり、小堀政次・政一親子が修築を行った。その後池田長幸が備中松山藩を起こしたが2代で後継ぎが途絶え、取りつぶしとなり、水谷氏が入る。2代水谷勝宗は標高約432mの小松山の本丸に二重二階の天守を修造するなど大改修を実施し、三大山城と称される現在の姿となったが4代で断絶し、約一年間赤穂藩の家老大石良雄(内蔵助)が城番として在城した。その後安藤氏、石川氏、板倉氏と続き明治維新を迎え、廃城となった。

追記 2016年7月8日放送NHK総合
「歴史秘話ヒストリア そうだ!天空の城へ行こう」より抜粋
・・・昭和に入り放置された天守は崩壊が進み忘れ去られていたが、高梁中学校教諭の信野友春が崩壊寸前の山城を調査し一冊の本にした。これにより町は1939年(昭和14)、天守の修復費用を捻出。しかし瓦2万枚を山の上に運ぶ手段と費用の問題が立ちはだかった。これを知った旧制高梁中学校の生徒達が中心となり、子供達も加わった町ぐるみの協力で城の瓦は山の上に運びあげられ1940年(昭和15)、天守の修復作業が完了した。・・・その後1997年(平成9)東御門・腕木御門・平櫓・土蔵などが復元され、さらに、2001年からの平成大修理を経て往年の姿がよみがえっている。

番号日本100名城 68(日本100名城について
名称備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)
住所〒716-0004岡山県高梁市内山下1
電話0866-22-1487(松山城管理事務所)
交通・アクセス伯備線備中高梁駅前観光案内所より『観光乗合タクシー』を運行(約15分)

【開門時間】
・4月~9月:9時~17時30分
・10月~3月:9時~16時30分
※休日:12月28日~1月4日
【入館料金】
・大人300円 小中学生150円
【駐車場】
・城見橋公園(5合目)110台 ふいご峠(8合目)14台 ふいご峠からは徒歩で約20分

◆日本100名城スタンプ設置場所
・備中松山城券売所

※掲載情報は2014年10月9日現在
HP一般社団法人高梁市観光協会公式ホームページ(高梁市観光ガイド)

備中松山城の周辺地図

※地図のピン位置はシステムで自動取得しているため誤差が生じる場合があります。

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管理人は2010年3月21日、備中松山城に登城。 » 備中松山城の記事を検索