日本100名城ガイド

日本100名城巡り 東北・北陸、1泊2日1350kmの旅

2009/09/01 カテゴリ:登城録(北海道・東北地方) ,登城録(北陸・東海地方)

30城を超えました。8月29日~30日の一泊二日でした。早朝5時過ぎに出発29日は750km走行、翌日は600kmで1350kmです。チョット頑張りすぎな感じです。

山形城

10:30山形着。残念なことに曇り空です。東大手門で、正面は高句麗門。左は続櫓と櫓門、右は北櫓。高麗門に渡る木造の大手橋が架かってますがチョット見えにくいかな

山形城

どうして山形城=霞城なのか?名前の由来

関ヶ原の合戦の頃に直江兼続(上杉軍)が富神山の麓からお城を十日間見ていましたが、霞がかかって何も見えなかったことから『霞城』と呼ばれるようになったそうです。そして、いまもそれが定着し、霞城公園としてみんなの憩いの場になっています。霞城公園の近くに山形駅があるように、今後もお城を中心に、町が発展するでしょう。
http://kanmado.com/article/14578265.html

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直江兼続の大軍を迎え撃つため、自ら陣頭に立って決戦城へ向かう最上義光の騎馬像yamagatajo-CIMG0165

東大手門に架かる木造の大手橋の手前に、堀に沿って山形新幹線の線路が

yamagatakyodokan-CIMG0172山形市郷土館。明治に使用されていた洋風の県立病院で医学におおいに貢献したオーストラリア人の医師『ローレツ』博士のドイツ医学資料が展示されています。

蕎麦の紹介パンフレット見つけた日月庵に行ってみましたが、蕎麦の味(香り)がして正解でした。結構気取っているお店は蕎麦の量が少なくて高いもんですが、ここはリーズナブルでしたよ。

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山形市 日月庵

日月庵は、挽きたて、打ちたて、茹でたての三たてにこだわり、毎朝、その日お客様に食べていただく分だけを石臼で挽き、そばを打っています。毎日石臼で挽き、打つそばは、契約農家から最上級の玄そばを丸抜きを仕入れたものだそうです。http://www.higetuan.com/

多賀城

多賀城多賀城(国の特別史跡)
「遠の朝廷」と呼ばれた陸奥国府・鎮守府の跡

平安時代の国府があった所です。不便なのでタクシーで観光するようです。ここから北は蝦夷でした。建物が復元できたら東北の京都として観光の目玉になるでしょう。何せ広いです。

tagajo-IMGA0542多賀城は、当時の史料である続日本紀には「多賀城柵」という名で登場し、古代東北の政治的軍事的拠点として重要な位置にあったことが分かっています。

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多賀城の碑です。字が見えにくいですが・・・宮城県多賀城城跡調査研究所のホームページでは<「壺碑」とも呼ばれ、日本三古碑の一つ。従来偽物説があったが、近年本物であることが確定し、重要文化財に指定されたとのこと。 724年に多賀城が大野東人によって創建され、762年に藤原朝狩によって修造されたことを記しており、他の文献にはない貴重な情報を伝えている>と説明されている。

もう15時をまわってしまいました。次の仙台城へ向かいます。

仙台城(青葉城)

仙台は何回か来たことのがあります。最初は高校の修学旅行でもうずい分前ですね。伊達正宗の銅像がお出迎え。ここは変わってませんね。でも今回はお城を観るためですので、視点が変わってます。仙台城址の碑や櫓はあったかな?

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仙台城

仙台城(青葉城)大手門跡・脇櫓

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仙台城は1610(慶長15)年、戦国時代後期の大名、伊達政宗が築城したもの。別名として青葉城ともよばれるこの城は、標高120mにそびえるもので、将軍徳川家康の警戒を避けるために, あえて天守閣は設けなませんでしたが、東と南を断崖が固める天然の要害に築かれた壮大な規模の城です。

もう暗くなってきました。今日の宿泊地、新潟に向かいます。新潟は今回で2度目。21:20もうホテルでは食事ができないので、新潟出身の人から聞いていた「ととや」で遅い夕食。ここは、郷土料理のお店で地元の人が行く所ですので、美味くてリーズナブルのお店です。

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ととやお疲れさまでした。

新発田城

さて、今日で最終日です。新発田城と春日山城を巡って、東京まで帰ります。何時になるでしょうかね。

新発田は今回で二回目ということを足軽長屋を見たときに思い出しました。前回行ったときは、「城址なので建物がない」と勝手に考えてパスしてしまった所です。右から辰巳櫓、本丸表門、旧二の丸隅櫓です。

新発田城新発田城大手門

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完全木造で復元された実質的な天守であった御三階櫓ですが、城跡の大部分が陸上自衛隊の「新発田駐屯地」となっているため、内部は見学できず。辰巳櫓から望遠でパチリ。sibatajo-CIMG0218

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新発田城は、堀部安兵衛の父上が勤めていてところで、櫓で火災が発生して、その責任を取って浪人になったとのことです。高田馬場での決闘で江戸中にその名が知れわたり、赤穂藩士・堀部弥兵衛が再三に渡り養子に迎えたいと訪ねて来たために堀部家を継ぐことに。泉岳寺に墓がありますが、赤穂浪士の一員ですね。

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新発田城近くの蕗谷虹児(ふきやこうじ)記念館に立寄り。蕗谷虹児は♪♪金襴緞子の帯しめながら♪♪童謡『花嫁人形』の詩画を作った方。

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新発田藩の足軽が居住した茅葺平屋造りの八軒長屋です。前に来た記憶が鮮明になってきましたよ。下はすぐ近くの清水園。溝口氏の下屋敷として造られたところ。純京都風の回遊式庭園ですが、お天気がイマイチなので・・・

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10:30です。では春日山城へ向かいます。158km 2時間以上かかりますね。

春日山城

13:30上杉謙信の居城、春日山城の「ものがたり館」着。先ず、スタンプをゲット。

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ものがたり館の横の春日山城跡広場。
春日山城

上杉景勝が、会津へ国替になり、その後に入った秀吉の家臣掘秀治が春日山城の防備を固めるべく家臣の堀正直(監物)に命じて普請した土塁と堀による総延長1.2kmの監物掘の一部が復元されてます。

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中世の山城ですから、全山が砦です。NHKで見ると海から直接春日山が立ち上がっているように見えますが、チョット中へ入ってるのですね。山城ですから、そこを住みかとして山を上り下りしていたのですから昔の武士は物凄い体力があったのですね。謙信亡き後、上杉氏を支えた重臣直江兼続の屋敷跡です。

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本丸跡は標高182m。高田平野の展望です。

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林泉寺は上杉謙信が修行した禅寺です。ここは、入口だけで境内に入りませんでした。

もう15:30 今回の1泊2日の強行軍は終了です。安全運転で東京へ帰ります。

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