石を用いず土塁で築城された佐倉城の城址

2009/11/10 カテゴリ:登城録(関東・甲信越地方)

2009/10/17土曜日。14:30佐倉城址到着。

ここには国立歴史民族博物館が本丸跡に立っています。土塁・空堀で石垣のない城です。明治維新後全て取り壊されてしまったので、広大な敷地から想像するしかありません。

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佐倉城

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佐倉城

 

CIMG0715佐倉城は、戦国時代中頃の天文年間(1532~1552)に千葉氏の一族である鹿島幹胤[かしまもとたね]が鹿島台に築いたといわれる中世城郭を原型として、江戸時代初期の慶長15年(1610)に佐倉に封ぜられた土井利勝によって翌慶長16年(1611)から元和2年(1616)までの間に築造された平山城。北に印旛沼、西と南に鹿島川・高崎川が流れる低地に西向きに突き出した、標高30m前後の台地先端に位置します。佐倉城はこうした地勢を巧みに利用し、水堀、空堀、土塁を築いて守りを固め、東につながる台地上に武家屋敷と町屋を配して、城下町した。以後、江戸の東を守る要として、有力譜代大名が城主となり、歴代城主の多くが老中など幕府の要職に就いた。なかでも、幕末期の藩主・堀田正睦(ほった まさよし)は、日本を開国に導いた開明的な老中として有名。

明治維新後には城址に陸軍歩兵第二連隊(後に第五十七連隊=通称・佐倉連隊)が置かれたために櫓や門などはすべて取り壊され、昭和20年の終戦まで軍隊が置かれていた。
公園の本格的な整備は昭和54年度から始まり、水堀の復元・本丸跡・出丸跡・三逕亭(茶室)などが整備された。また、昭和58年、明治百年記念事業として、公園隣接地に国立歴史民俗博物館が開館し、現在に至る。
(佐倉市HPより)

今回の城巡りは東京近郊ということで、母も連れて行ったので歴博も見学。時間もなかったので特別企画展「縄文はいつから?1万5千年前になにがおこったのか」は観られず常設展示のみでしたが、館内が広い広い。とてもとてもさっと見られる展示ではなかったですが、次回行く「丸山三内遺跡等が縮尺サイズで展示」されていたので、イメージするには非常に良かったです。

どんぐりてい坂東市 農家レストラン「どんぐりてい」

この後、NHKで取り上げられた農家レストラン「どんぐりてい」で手打ち蕎麦定食を食して帰路に。おこげのおにぎりは売り切れで残念でしたが、茨木弁が何とも心地よい食事処でしたよ。久し振りに田舎を味わいました。

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