琉球王国の繁栄をみる、世界遺産・首里城(沖縄編4/4)

2010/03/24 カテゴリ:登城録(九州・沖縄地方)

2010/1/25 8:13沖縄編最終日になりました。沖縄と言えば守礼の門?首里城です。

太平洋戦争における日米最後の決戦として戦われた沖縄戦(1945年)によって首里城はアメリカ軍の猛烈な砲撃を受け炎上し、地上からその姿をほぼ完全に消してしまい焼失から47年ぶりに首里城は蘇ったとのこと。

朝一番で来ましたが、もう観光バスが到着。急がねばです。

守礼門

急いできたのは、有料区域への入り口、奉神門(ほうしんもん)で毎朝開館5分前に行われるイベントを観るため。
琉球王朝時代の役人衣装を身につけたスタッフがドラを叩き「ウケージョー」と発声し、来園者を迎えます。

首里城

首里城は公園として整備されており、その周辺にも世界遺産があり、園比屋武御嶽石門、王陵(たまうどぅん)、識名園(識名御殿)もその一つ。もう9:30急がないと全部廻りきれません。移動途中で雨が・・・やはり降って来ましたか。

傘はレンタカー事務所に置いてあったのですが、持ってこなかったのは失敗です。ローソンで傘購入。

【園比屋武御嶽石門】(そのひゃんうたきいしもん)

園比屋武御嶽石門

園比屋武御嶽石門

【玉陵】

玉陵

玉陵

第二尚氏王統の陵墓。沖縄独特の破風墓が3基連なっている。

【識名園(識名御殿)】10:10到着

識名園

識名園

王家の別邸として使用された識名園(識名御殿)は、1799年に創建されて人工的に掘られた池を中心に、御殿、六角堂、勧耕台、石橋、碑文等が配置されています。この廻遊式庭園は、沖縄戦で破壊されたが、1975年から復元整備が進められ1995年に現在の規模に拡張されたもの。

【金城町の石段】11:17到着

金城町の石段

16世紀の主要道路として造られた石畳道。

当時は、延長10kmにも及んだ道も現在は、金城町の280m余りだけが残されおり、昔の風情を今も漂わせていますが、雨が降った後なので、石畳は滑りやすくなっており、気をつけて歩いたのですが妻は一瞬油断。結果、臀部をしたたか打つことに!痛い~

【斎場御嶽(せーふぁうたき)】12:26到着

次は琉球王国の聖地、斎場御嶽

「古事記」や「日本書紀」の冒頭部分にある宇宙や世界の始まりを語る神話を一般的に開闢神話(かいびゃくしんわ)と呼ぶそうであるが、琉球王国(沖縄)においても琉球開闢という創生神話が伝わり、語り継がれている。

沖縄で御嶽(うたき)とは神が降臨し鎮座する聖域のことを指すが、琉球開闢のなかでこの国が七つの御嶽から出来上がったと伝えられ、そのうちの1つがここ斎場御嶽(せーふぁうたき)で、琉球王国の最高の聖地ということです

それぞれの御嶽で女性が拝んで(呪文を唱えて?)いましたよ。

斎場御嶽

斎場御嶽

【平和記念公園・ひめゆりの塔】

14:00平和記念公園着。沖縄戦で犠牲になった人々の名前を刻んだ慰霊碑が整然と立っています。合掌。

ひめゆりの塔も見てきましたが、ひめゆり平和祈念館には入らずでした。戦争の悲惨さを写真や遺品で見ることは耐えられませんので。でもこの2ケ所を改めて見て、戦争の悲惨さを再確認しましたよ。

ひめゆりの塔

ひめゆりの塔

これで、沖縄の100名城巡りと 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の世界遺産巡りは終了。
お疲れさまでした。「ゆっくい茶処おおしろ」でお茶(沖縄のおやつセット500円)して東京に戻ります。

ゆっくい茶処おおしろ

やっとUP出来ました。旅行も良いけれど、整理するのは大変ですね。

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