日本100名城巡り最終回、残り3城

2014/11/15 カテゴリ:登城録(九州・沖縄地方)

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昨日14日から100名城の最終回。九州に再度来ています。

昨日の天気は曇り。寒い一日でした。6:40発、大分空港空港8:25。レンタカーを借りて、 由布院と耶馬渓の紅葉を見て熊本泊。由布院は前日雪が降って初冠雪。結構中国や韓国、台湾の方が観光に来ていました。

由布院まで来て温泉に入らないわけにはいかないので、夢想園で日帰り入浴。冷たい風が頬に体はポカポカ。耶馬渓は山道を走りましたが、思ったような紅葉ではなく、時期がチョット遅かったかな。

今日は、一転して快晴。暑いぐらいでした。人吉城を周り、鹿児島城へ。予定では、人吉は城の建物もなく、1時間程度しかみていませんでしたが広い広い。歴史館を見学してガイドの方説明を聞いていたら直ぐ1時間は経ってしまい予定滞在時間オーバーでした。

 

人吉城址。再建した白壁

鹿児島のホテルを7:30に出発。緑川PA・山江SAで休憩し、9:30人吉城着。それでは登城開始です。

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「多門櫓北側長塀」(復元長151m)瓦葺きの土塀で、外面は上部を漆喰壁、下部に腰瓦を張り付けたナマコ壁。堀の二ヶ所に攻撃用の「石落とし」が設置されています。

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大手門櫓と大手門跡。大手門は残念ながら復元されていませんね

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人吉城跡西北角の胸川と球磨川の合流点にある「隅櫓」

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上記の建物が復元されている一帯が西外曲輪で、市役所・人吉城歴史館・ふるさと歴史の広場があり、駐車場もここにあります。

では、本丸に向かいます。入って右手の高い石垣。文久2年(1862寺田屋騒動等があった幕末)寅助火事後、防火のために行われた石垣工事で、石垣の上部に西洋式の「はね出し石垣」(武者返しとも呼ばれる)が採用されたもので、古典的な城郭に採用されたのは唯一の例とか。

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次は左手の「水ノ手門」。間から見えるのは球磨川の流れです。カヌーの練習をやっていますね。この城の球磨川・胸川に面した石垣には7個所の船着き場が造られていたということですが、その中でも最大なもので年貢米の出し入れに使用されていたとのこと

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人吉城の石碑が見えてきました

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これを過ぎると、右手に「堀合門」。城主の住む御館(みたち)の北側入口の門です。

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人吉藩では藩内に12ヶ所の米蔵があったとのことですが、そのうちの大村米御蔵・欠米蔵跡です。水ノ手門から搬入した年貢米の収納庫。

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さあ、本丸に向かいます。高い石垣と階段がお出迎えです。本丸や二の丸に登るための唯一の出入り口で右側の低い石垣の上に櫓があり、その下に門(「御下門」)があったとのこと。

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登り切ったところで振り返り球磨川を望めば、球磨川下りの船が

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さらに登ると踊り場にでます。左手奥の階段が二の丸へ(高御殿と呼ばれた御城の中心地)。まっすぐ見えるところが三の丸で、人が歩いている右側の石垣の辺が、籠城のために塩を保存していた「塩蔵跡」

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この踊り場を左手に登ると「中御門」

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いよいよ本丸です。

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下記の説明板には・・・本丸は、はじめ「高御城」と呼ばれていた。地形的には天守台に相当するが天守閣は建てられず。寛永3年(1926)年に護摩堂が建てられて、その他に御先祖堂や時を知らせる太鼓屋、山伏番所があった。礎石群は、板葺きで4間四方の二階建ての護摩堂跡である。中世には「繊月石」を祀る場所であったように、主として宗教的空間として利用されていることに特色がある(人吉市教育委員会)・・とある

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本丸を下り、広い平坦地の二の丸へ周りますが木が生い茂っています。

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二の丸から三の丸の眺望です。右手に球磨川が望めます。

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それでは、下城して駐車場に戻り、人吉城歴史館(相良清兵衛屋敷)へ向かいます。この歴史館は相良清兵衛屋敷の地下室遺構の上に建っており、地下室がなぜ作られ、その後1640年の「お下の乱」の直後に破壊埋められたか・・謎多き地下大井戸遺構です。展示物には人吉城のパノラマもあり、是非立ち寄ってみてくださいね。

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結構、人吉城だけで時間が掛ってしまいました。それでは人吉城駅前の「からくり時計」によって鹿児島へ向かいます。からくり時計は、地元民謡「球磨の六拍子」の曲に乗って(11月~2月は9時~17時まで毎時作動)からくり人形が動き出すそうです。残念ながらからくりが時計が動く時間まで待っていられません。

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丁度、SL人吉号が入線してきました。さあ鹿児島へ向けて出発です。既に12:30になっています(鹿児島へ行く前に、霧島神宮に参拝との計画もありましたが、時間が足りず、一路鹿児島へ)

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鹿児島城(鶴丸城)〜薩摩は人をもって城となす

高速を降りて市内に入ると車が混んでいました。当初予定は鹿児島城(鶴丸城)を先にと考えていましたが、仙巌園・尚古集成館を先に周ることに。桜島が見えてきました。

桜島

仙巌園15:00着。仙巌園は、万治元(1658)年、19代島津光久によって築かれた別邸。錦江湾や桜島を庭園の景観にとりいれた、雄大な景色が仙巌園の最大の魅力。幕末の28代島津斉彬がこよなく愛し、徳川将軍家に嫁いだ篤姫も足を運んだと。2009年のNHK大河ドラマ「篤姫」では仙巌園や磯山公園が桜島をバックに色々なシーンで出てきましたね。

先ず、入ってすぐにお出迎えが復元された鉄製150ポンド砲。この地は大砲や造船を行った近代日本発祥の地との説明が・・後ろの石組は反射炉跡。

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下の写真は正門ですが「篤姫」では江戸の薩摩藩邸としてよく出てきたところとか・・

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薩摩藩最後の藩主、島津忠義が、明治になって生活していた御殿

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上の御殿の屋根の後ろ側、白く滝のような線が見えますが、これは山腹に巨大な岩があり、そこに下の写真のように「千尋巌(せんじんがん)」という白い3文字を刻んだもの。3文字の大きさは、上下で11m。文化11年(1814)に、27代斉興が失業者救済対策としてのべ3,900の人夫をつかい、3カ月かけて作らせた。白い色は胡粉(ごふん)という、貝がらをこまかく砕いた粉をぬりかためたもので日本の庭園では例を見ず、薩摩が中国文化の影響を強く受けていた証拠だと。しかし、どうやってこの岩場に文字を書いたのでしょうか?足場を組んだ?97-kagosima-S2400088

鶴灯篭を観て園内を出ます。

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結構時間が掛ってしまいました。既に16時です。急ぎ足で尚古集成館 本館を観て、鹿児島城向かいます。

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鶴丸城到着です。もう日が傾いてきています。写真がうまく撮れません。大手橋を渡り城内へ

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御楼門跡には、説明文が・・「鶴丸城は鹿児島城ともいい、17世紀初頭に島津氏18代家久(初代藩主)が築いた館造りの城で、明治初年まで島津氏の居城でした・・・」と。

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急いで、100名城のスタンプが置いてある城内の黎明館へ。無事ゲット

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桜島が目の前に見えるドルフィンポートに設置されていた「篤姫館」(平成20/1/6~3/31)は当初の目標を大きく上回る66万7535人の来館があり、その余剰金4千万をかけて、平成22年(2010)12月19日島津家の養子となった篤姫が数カ月間暮らしていたといわれる鶴丸城跡(現鹿児島県歴史資料センター黎明館)に建立されたもので、40歳前後の写真をモデルにしたとのこと

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それでは、城を後にして、西郷洞窟へ。明治10年(1877)九州各地で転戦したのち薩軍は8月に解散。その後、西郷隆盛一行は9月1日再び城下に戻り、城山に立て籠もり、最後の5日間を過ごした洞窟と伝えられているところ

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さて、もう夕暮れが迫ってきたので城山公園・城山展望台を散策です。街に灯りがともりました。

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城山観光ホテルのイルミネーション。ホテルの庭はこんな感じです。

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もう18時を過ぎましたが、もう1件行ってみたいと思います。お付き合いください。「竹灯篭&音楽祭」会場は、金峰2000年橋公園

41636_20141015095045-1事前に調べていた目的地までの距離は27kmなので1時間程度で着くかと思っていましたが有料道路の分岐点を間違え、一般道へ。これが大変なことに、真っ暗な山道を走る羽目に。さらに悪いことにナビに設定した目的地の電話番号が「南さつま市役所」であったことが判明。お腹は空くし車内は険悪な状態に。どうにか地図を設定し直し目的地に到着。既に20時です。倍の時間が掛ってしまいました。息が白く夜風が身に沁みます。会場は二千年橋の川沿いに竹灯篭が灯り、幻想的な風景。ゆっくり時間が流れます。ここまで来た甲斐がありました。

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二千年橋の下の河原に「愛」の文字が。会場ではコンサートが・・・まだやっていました。

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本日はこれで終了。お疲れ様でした。鹿児島へ戻ります。

2016/07/26 Rewrite

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